鬱病になるとどうなるか
自分は鬱病を患っています。それがどうなるのかここに書き綴っておきます。
まずは倦怠感。何もする気が起きなくなります。
そんなの自分だってあるわ。と、おっしゃられる方もいると思います。貴方に問いたい。何を食べても味気ない。その影響で食に興味が無くなり、小麦粉を水で溶いてのを焼いただけの物でいい。そうなりますか?自分はなってます。
空腹を満たすだけでいい。そんなのに金も労力を使いたくない。最低限食べられるものでいいから、小麦粉を水で溶いた生地を焼いてお好み焼きソースをかけて食べるだけ。そんな物と他の食事が殆ど変わらなくなってしまうんです。一応栄養は考えているのでたんぱく質を摂取する為に豆腐を細かく砕いて生地に混ぜもしますが、栄養の為だけです。
勿論、それでは栄養は不足するので江崎グリコが販売しているギュッと一食分と言うミニケーキも食べています。アマゾンで帰るんですが、ケースで買えば50円程度で済みますから。
それだけに留まらず、立ったり座ったりする程度ですらきつく感じてしまい。酷い時は食事とトイレ以外ずっと布団から出られなかったり、最悪の場合は食事すらとらずに終わる日も有りました。
ですが、倦怠感だけではありません。体中が痛くなるんです。
外に出る。それだけでストレスを抱いてしまって常に緊張状態。そのせいで無意識のうちに体に力が入った状態が続き、全身の筋肉がこわばり、痛みを伴うようになるんです。
そんな状態で暮らしていける訳がない。それがまた精神的な負担になってストレスを意味出してしまう負のスパイラル。行動起こそうにも自分に自信なんか持てず、失敗を意識してしまう。そしてうまく行かなかったらより一層落ち込む。鬱病なってるせいで禄に活動出来ないから失敗するのなんて当然なのに。生きると言う行為そのものが鬱病の原因になってしまうんです。
でも、自分は楽になりました。救われたからじゃないです。救いなんてないと分かったからです。死体を処理する人に迷惑を掛けるだろうなと言う罪悪感と、死ぬのは苦しいよなと言う忌避感で死ぬのを避けてきましたが、それも自分の中で解決しました。
餓死すればいい。瞬間的な苦しみはない。飢えに苦しむでしょうが生きるのと何が違うのか?
死体の処理も血や内臓が飛び散ったりもしない。迷惑はかけるでしょうが、餓死なら早期発見であれば遺体を運び出すだけですから。
もう死ぬだけ。後はその時期まで適当に過ごせばいい。そんな境地になれば鬱病から完全ではないですが、多少は解放されます。
鬱病の人は是非、生を放棄し、死を受け入れてください。それが一番楽だと思いますよ。